このコーナーでは 「伝統文化の今、そしてこれから」 と題して、毎回さまざまな伝統文化活動の第一線で活躍している方々に、お話を伺いながら伝統文化が社会や私たちの生活とどう関わっているのか、またその現状、さらに将来に向けての展望を、皆さんとともに考えてゆきたいと思っております。
第3回は、一中節、常磐津節の演奏者として日本はもとより海外でもさまざまな演奏会、講演等を行い、伝統音楽の普及に積極的に活動されている、十二世 都 一中さんにご登場いただき、ご自身の活動や体験を通してのお話を伺いました。
 

十二世 都 一中(みやこ いっちゅう) プロフィール

昭和27年(1952年)生まれ
出身:東京都

幼少より父、常磐津子之助(ねのすけ)から常磐津節浄瑠璃 と三味線の手ほどきを受ける。東京芸術大学音楽学部邦楽科に入学し長唄三味線を専攻。その後二代目常磐津文字蔵を襲名、一方で十一世都一中に師事し一中節演奏者としても活躍。1991年に十二世都一中を襲名、一中節家元を継承。以降一中節、常磐津節はもとより、日本の伝統音楽の素晴らしさを伝えるための、レクチャーコンサート、企画公演や講演などを行い、1995年からは、米国、オーストラリア、中国、ドイツ、オーストリアなど海外でも講演、演奏会を数多く開き、海外での日本の邦楽紹介にも積極的に取り組んでいる。またラジオのパーソナリティとして「都一中の我ら夢中人」に出演。一中節弾き語り「一中節1〜3」をはじめ数々のCDもリリース。

 

「常磐津の家に生まれたので、自然に跡を継がれたのかと思いますが、本格的にあるいは意識的に日本の音楽に興味をいつ頃からですか?」

 それが全然自然に、、、ではなかったのです。もちろん父がやっていましたので、小さい頃は遊び半分で、三味線と浄瑠璃を教わっていましたが、父も跡を継がせる気はなかったようです。小学校のときの卒業文集には、将来なりたいものは資本家などと、わけの分からないことを書いていました。それが中学の頃はやや現実的になって実業家になりました。
 音楽は中学の頃から好きで、西洋音楽、とくにエレキバンド。ベンチャーズやビートルズが大変流行していた時期でしたから。高校ではクラシックが好きになりブラスバンド部に入りトランペットやトロンボーン、あるいは聖歌隊なども経験しました。
 確か中学生のときだっと思いますが、「小澤征爾 第九を振る」という番組を見て感激、指揮者になりたいと思った。「しかし待てよ、自分は西洋音楽の基礎訓練は何も受けていない。」さらに一方で「家でやっているのも音楽なんだ。」と改めて三味線音楽を意識しました。また高校の授業で小林秀雄「私の人生観」を勉強したときに、日本の藝術における理想を自分の中に持つようになり、それを三味線で実現したいと思うようになりました。
  それで高校2年の時に、父に三味線弾きになりたいと話しました。でも父に習うのはいやだったので、違うもの、長唄をやろうと思い芸大に邦楽科があるのを知って、芸大を受験するために長唄のお稽古を始めました。父からは芸大受験は1回きり、もしダメだったら父のカバン持ちと言い渡されたので、必死に勉強して入学しました。入ったら入ったで、今度は父が「1年で退学せよ」と言い出し、泣く泣く1年で中退することになった。今思うと、父は体が弱かったので、その気になったのなら早く継がせたかったのでしょう。それで常磐津を本格的にやるようになったのです。

芸大のお話しがでたところで伺いたいのですが、師匠と弟子の関係において継承されてきた日本の伝統音楽は学校教育という場において有効に教育、あるいは伝承できるのでしょうか。」

 私の経験からお話すると、芸大の邦楽科を受験する学生は、いわゆる西洋音楽の楽典の筆記試験で落ちることがあるといわれ、改めて楽典を教わりました。「楽典を知っているからといって三味線がうまく弾けるわけではないですが。」とそのときの先生にも言われましたが、楽典や五線譜はある意味、音楽の共通言語といえると思います。他のジャンルの方とも五線譜を通してコミュニケーションできることは確かにあるので、それは大変役に立ちました。
  常磐津の三味線自体は現場で学ぶのが一番ですが、それ以外の音楽全般、その他の教養、知識を学ぶには、芸大は良い場所と思いますね。先にお話ししたように私は入学したのも束の間、1年で退学することを決めたのですが、そのことが自分にとってはかえってラッキーでした。というのも本来であれば順に取得していかなくてはならない単位を無視して、自分の好きなものを好きなように勉強できるチャンスをつかむことができたからです。
  当時特に興味を持ったのが小泉文夫先生の授業でした。邦楽をやっている人は多少西洋音楽に対するコンプレックスがあったと思うのです。三味線を弾くのでも、五線譜が読める方がカッコイイ、、、などという、今思うと全く浅はかな考え方なのですが。それを小泉先生に根底から覆されたのです。日本の音楽の素晴らしさ、その深さ、知的であることに気付かせていただいたのです。それからというもの他の授業は受けずに、朝から晩まで小泉先生の授業ばっかり、受けておりました。このことは今の自分の大きな糧になっていると思います。こうした経験ができたのも多少でも国立の芸大に行ったお蔭だと思っています。

 2003年から一般の小中学校で邦楽器を教えることが始まりましたが、私はこのことで大変危惧しています。芸大では、邦楽科の学生はピアノが弾けないと教職免状が取れません。一方でピアノ科や声楽科の学生は三味線が弾けなくても教職免状は取ることができます。従って今音楽の先生が邦楽器を指導しようとしてもできない訳です。ピアノ科の学生達が、何か邦楽器のひとつ、もしくは口唱歌でも良いのですが、教職免状を取る際にそうした基礎的なものを経験していれば、良い指導ができると思います。今の音楽の先生で、誠意のある方は邦楽を教えることをあえてなさろうとはしない。生半可な授業はすべきではない、とのお考えからだと思いますが。これからは音楽の先生になる方には日本の音楽も必修にする必要があると思います。また話はちょっとそれますが、外交官試験に必ず日本の文化の何かひとつができる、というのを加えて欲しいと思いますね。


芸大の邦楽科の歴史は決して短くはないにもかかわらず、未だに日本の伝統音楽全てを網羅できていないのは何故でしょうか?国立の大学であるからにはたとえ学生がいなくても、全ての日本の伝統音楽を教えても良いように思いますが? 」

 それは日本の伝統的音楽がわからない明治政府が、西洋のものを取り込むために創った大学という背景があるからだと思います。西洋の芸術が上位にあり、教養、知性を磨くためには西洋のものを学ぶべきという考え方があり、それが今日まで尾を引いているといえるのではないでしょうか。当時の世界における日本の状況としては、仕方がなかったことと思いますが、今となってはもっと日本の文化の持つ価値や教養、感性を多くの方に分かっていただきたいですね。

 私はよく、「一中節を聞いて楽しめる方は、よほど知性と教養が高い方である。」とお話しします。一方で私が演奏会をするときは、一中節を知らない、興味も感心もない、そういうものが分からない人に聞いていただくコンサートを基本にしています。というのもオペラが好きだったりミュージカルをブロードウエイまで聞きに行く、あるいは素晴らしい絵画を見て感動できる方達は、必ず日本の芸術の良いものを見たり聴いたりした場合、「いいな!」と感動する感性を持っていらっしゃる。そういう方々に対しては何かきっかけが必要で、知的好奇心を満足させてあげられる努力をしないといけない。それをしないと日本の伝統文化の面白さ、深さ、芸術性に目覚めていただくことができないと思います。感性をもっている方なら、一中節を聴いて良いと思っていただけると確信しています。
  さらに私は演奏会をやるとき3つの結果を想定してやります。
   ・ こんな素晴らしい音楽は初めて体験したと思っていただく
   ・ 日本の音楽にこんな素晴らしいものがあったということに誇りを持っていただく
   ・ この良さを感じることができる自分の感性が素晴らしいと思っていただく
自分の演奏会を聴いた方々にはこのように感じていただけると確信しながら演奏会に臨みます。そうすると皆さん、そのように感じてくださいます。


一中節を現代の方々に、より興味深く感じていただくために、歌詞が理解できる必要があると思います。これは一中節に限らず日本の伝統音楽のほとんどがかかえている問題だと思いますが。」

 そうですね、外国映画を字幕無しで観るのはつらいのと同じように現代語訳、演奏者が曲として伝えたい超訳をつけて、聴いていただく必用があると思います。
  例えば、「合点か」「おーさーて、合点だ」という歌詞に対して、「いいかな」「いいとも」という訳が提供されれば、より理解し易くなり、共感していただけるのは間違いありません。日本の音楽は長い歴史の中で、狭い範囲で洗練に洗練を重ねてきたという側面があります。そこに属している人たちには説明もせずに理解共有できる言葉で、成り立っているものがあります。そうした言葉は大切にすべきですし、そのためにも狭い範囲だけでしか通じない事柄を、説明してあげる必用があると思います。
  また現代語でやることも必要かと思うし面白いと考えます。七五調を活かせば現代語でも邦楽のリズムに十分のるし、産み字という便利なシステムを利用するという手もあります。


言葉の問題と同じように、今の日本人のほとんどは、日本の伝統音楽より欧米の音楽の方が耳に馴染んでいて受け入れ易く、日本の音楽の方が異国の音楽のように感じられているように思うのですが。」

 そうですね、子供の頃から聴いていた音楽というのは、抵抗感なく受け入れることができますね。バイリンガルでなくバイミュージカル。小さい頃から違う種類の民族音楽を聴いていると、いろいろな音楽がわかるようになる。何かひとつだけの音楽だけ聴いて育つと、他の音楽が間違った音楽あるいは劣った音楽として聴こえるようです。そうするとその変だという気持ちが先に立ってしまって、そこにある本質的な人間の気持ちを表わしている音が聴こえなくなくなってしまう。
  私が、実行しているひとつに、「唱歌(ショウガ)で遊ぼう」というのがあります。日本の音楽は、雅楽の昔から楽器の音を全て言葉に置き換えて教えるとことをしてきました。 例えば三味線ならチン、トン、シャン、太鼓ならテン、テレツク、笛ならヒャイトロ、といったもので、音程や間(ま)あるいは弾く絃や指遣いが分かるようになっています。これを30分ばかりで良いので経験してもらいます。これで口だけで合奏ができますし、不思議なことに、次に三味線を聴くとチン、トン、シャンと聴こえるようになるのです。つまり唱歌を体験することで、日本の音楽を聴く耳が開けてくる。音楽のかなり高度なメカニズムがすっとわかるようになります。
  先ほどもお話したように、音楽の先生は洋楽を専攻されても、この口唱歌はぜひ習得していただきたいと思います。こうした基礎的なもの習得しているだけでも、良い指導ができるはずです。


伝統音楽とは何か、古典の持っている価値とはどんなことだとお考えですか。」

 伝統文化とは古典の伝承ともいえると思います。古典とは不変の価値をもったもの、あらゆる時代のあらゆる解釈に耐えうるもの。古典となるには大変なエネルギーが必要ですが、ひとたびその価値を持てば、いつの時代でも最先端の感性に刺激を与えられるものであると思っています。
  古典は忠実に再現することが大切です。なにが本物かは主観的なことではありますが、ひとつひとつの音に全身全霊を込める、精神誠意、ひとつの音に自分の全てを込めていくという気持ちで古典に向かい合うと、ほんとうに面白くて、曲の成り立ちの真実を見つけ出すことができます。この曲のここは何でこういう節なのか、何故こう演奏すべきなのかを、心底理解しなければならない。
  先代11世の一中師に稽古を受けていた頃、ある曲のひとつの勘所を、あるときは猛烈にダメを出されたと思うと、あるときはそれでよいと言われ、戸惑ったことがありました。自分では弾いていて、そんなに違うように思われず、師の言う意味がしばらくわかりませんでした。ところが何年かやっているうちに、「ここではこの音以外あり得ないんだ」と分かったときは、とても嬉しかったですね。 弟子が「これでも良いのだ」と思っていることを、「これでなくてはいけない」すなわち、良し悪しのより高度で緻密な判断力を教えることが師匠なんだということを教わりました。
  古典に忠実とは、コピーではなく自分が実感してその通りに表現すること。雪の降っている情景を弾く場合でも、その空気の冷たさ、冷たさの中に潤いのある空気感を、ひとつの音で表わす。その音を弾いた瞬間だけでなく、弾く前の自分の気持ち、弾いた後の余韻の処理、トータルで自分が納得したときに、古典との出会いが実感できる訳です。古典を勉強していると、そうした新しい発見が毎日のように、無限にある。そうした体験をたくさんできればできるほど、良い演奏家になれるのではと思うのです。古典を演奏するということは、演奏家にとって宝の山に入る鍵をもらったようなもので、その意味でも古典を演奏することはとても創造的なことです。

 一中節はある意味お稽古芸であり、お稽古の中で伝わってきました。お稽古は趣味、趣味はゲームのようなもの。その人のレベルにより楽しめる範囲がある。それがある程度クリアできると次のレベル世界が広がる。これを無限に繰り返しているわけです。それを私は「一中毒」といっていますが、これに嵌ると面白くて抜けられない。ただし伝承は自分だけが面白くてはダメで、聞いている人と共有できて、共に面白いと思えないと伝承されているとはいえない。それをうんと増やしてゆきたいですね。

「演奏家として活動されていて感じる、さまざまな問題点、経済的基盤や演奏会の運営などお聞かせください。」

 まずは精神的なことなのですが、私はレクチャーコンサートというのをやっています。これはその曲のさまざまな事柄をまず説明して曲を聴いていただくのですが、これはその曲に対する知的好奇心をより高めるためにそうしたレクチャーを行います。しかし邦楽の世界では、演奏家自体が曲について話すということは、おこがましい、はしたない、演奏が劣っている証拠、、、などと言われてきました。はじめのうちはそうしたことを気にしていましたが、今では笑われても、馬鹿なやつと思われても、聴いてくださる方が一人でも良いと思っていただけることの方がはるかに重要、価値のあることと確信しています。

 経済的な点では、「芸でお金を稼ごうと思ってはいけない。名誉欲のために芸をしてはいけない。そう思った瞬間、その時点で芸はゼロになってしまうし、人を感動させることなど決してできない。」と言われ、自分もそう確信しています。若い頃はそういう意味でお金が必要でないと思っていましたが、一方でそうではないことに気がつきました。世界中のあちらこちらに行って素晴らしい芸に接する、休息する、演奏会を行う、などなど、そういう意味でお金は必要です。
  「どんな人でも人のために生きている。それに徹すればよい結果が生まれる。」、要はお金のために芸をするのではなく、どんな仕事でも一緒で、自分の理想を天命として求め一生懸命やる、そのことで人が喜んでくださり結果としてお金が入ってくる、ということだと思っています。

 邦楽の演奏家が、自身の演奏会を開くのは、労力の点でも、経済的な点でも大変なことです。自分が演奏会をやりたいと思うと、いろいろやるべきことが出てきてしまう。それをやろうとすると、時間がとられてしまって、肝心の演奏の練習をする時間がなくなってしまう。それは本末転倒で、すごくストレスになる。そこでふと気付いたのが、例えば自動車作っている人が、売って歩いていたら、もっと良いものを創ることができなくなる、だからメーカーと販社のような仕組みができたわけで、こうした役割分担が必要なんだと思いました。そう思ったら不思議なもので、そういう人が出てきてくださった。お蔭で今は自分がこんな会をやりたいと思うと、そのようにやって下さる。それがM1クラブというのですが。金銭面においても何とか採算が合うようにきちんと運営してくださいます。
  一般的には私とM1クラブのようなケースは稀で、自身の演奏会をやると持ち出しになることが多いと思います。しかし「日本音楽の本当の素晴らしさを伝える」というコンセプトを揺るがせにせずに、プロデュース、マネジメントをきちんとやってくださる方がいれば、ひとつのビジネスモデルとなりうると確信しています。そうしたプロデューサーやマネージャーが邦楽の世界には少ないのも大きな問題ですね。
  それと、お客さまの数が今の100倍になれば採算が取れるようになる。お客さまがきちんと動員できるようなものにするのは演奏家の責任です。
  日本の音楽の価値、それを聴いていただく演奏会を行うことが価値のあることだと思う、価値観。ビジネスとして成り立つ、という意識の問題。文化だから持ち出し、赤字で当たり前と思われがちですが、お金払ってでも見たい、聴きたいものを提供しなくてはいけない。

「日本の伝統文化の将来と、ご自身のこれからなさりたいと思うことについてお聞かせください。」

 私は、今は国風文化の時代だと考えています。日本は古来から海外の文化を積極的に取り入れる時代が続くと、しばらくの間外との関係を断ち、海外から取り込んだものを国内で熟成させ、日本独自の文化にまで昇華させるということを繰り返してきました。現代は明治維新からつい先頃まで、海外の文物を徹底的に取り込んできた流れが一段落し、日本のものにする時代になってきたのではないでしょうか。そうした意味で日本の文化が、これから花開くと感じております。
  さらに江戸時代に熟成させた文化がそう簡単に消えるはずがありません。クリスマスを祝ったと思ったら寺社に初詣、という民族性。2千年前から神官がいて今も続いている。雅楽が今でも継承されている。過去を振り返ってみれば、能が主流になっても雅楽はなくならない、三味線音楽が入ってきても能も雅楽も残って、洋楽が入ってきても過去のものが皆残っている。中国には元の形の雅楽が残っていませんが、日本人の中には古いものを残していくという意識があるのではないでしょうか。
戦争さえしなければ、日本の伝統文化に良い時代が来るでしょう。

 これからの夢は、世界各国の音楽祭に演奏に行きたい、世界の伝統音楽のネットワークを作りたい、ということ。それぞれに確立した各地の音楽の価値に触れてみたい。それが今後の自分の演奏の刺激になると思っています。

 私は自分なりの理想を持って三味線音楽の世界に入りましたが、なかなか理想と実態が一致しないものです。また一方で毎日毎日が面白くないと生きていけない。それらを一中節の中に見つけ出し、いろいろな方に共有していただきたいと思い今日までやってきました。これからもそれは同じで、そのために私は自分のご機嫌をとることを最優先にあらゆる努力をしています。というのも、自分が機嫌が悪ければ、人に楽しい気分を感じてもらえないでしょうから。

これからも一中節の素晴らしさを、さまざまなご活動を通して体感させていただきたいと思います。本日は長時間いろいろなお話しをありがとうございました。

取材データ: 平成17年1月11日 都一中師 稽古場にて
写真: 岡部 好
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